青葉先生は山形大学農学部の教授をなされ、だだちゃ豆などの在来野菜の権威で
あったと伺っております。先生の次女、恵さんとは高校時代同級生で、机を並べて過ごした間柄
です。それで一度お宅にお伺いしたときにお目にかかったことがあります。先年お亡くなりになった
とのこと、少しでもお話を聞いてみたかったと残念に思っております。
北国の野菜風土誌
昭和51年  青葉 高 著
 大豆は、中国北部の原産で,わが国では古代から栽培された。大豆をいつ頃から枝豆として利用するようになったかは明らかでないが、鎌倉時代(1262年)の荘園の貢納物として、「瓜 ナスビ 枝大豆 等3篭」とあるのです。     また、東北地方では中秋名月を豆名月と呼ぶ地方が多く,特に山形県庄内地方では古くから珍重され,生活と結びついて重要な食品になっていた。それだけに栽培も多く品種についての関心が強い。
 庄内地方で代表なものが「だだちゃ豆」でその中でも「白山だだちゃ豆」と、「小真木だだちゃ豆」の系統が知られている。
 「だだちゃ豆」の事を「伊達茶豆」という人もいるが、伊達に縁のある福島県や宮城県にも似ている茶豆は見られないし茶豆を枝豆にして食べる習慣もない。
 「茶豆」を枝豆にして食べているのは新潟県の新津。新潟市を含む下越地方には以前から茶香り豆が作られている。
庄内地方の「だだちゃ豆」は、おそらく新潟県の「茶香り」かそれと縁の近い品種が庄内に入り、鶴岡市付近の農家で作られるようになったのであろう。そして、豆の最たるものとしてだだちゃ(主人)豆と呼ばれたのであるまいか。
 明治の中期,赤川が鶴岡酒田間の重要な交通路だった頃、鶴岡の船積み場から、沢山の枝豆が酒田に送られた。今でも酒田市民はこの豆を鶴岡豆と呼んでいる。又、江戸時代(1632年〜53年)加藤清正の子、忠広公が鶴岡に配流された頃鶴岡には風味の良い枝豆がすでにあり,忠広公は郷里の熊本に送っている。
 今のように宅配便がないから何日も過ぎて熊本についたのでは味が劣るので、枝豆の種を送ったとおもわれます。

青葉高先生の研究
だだちゃ豆の栽培
日本の朝ごはん 食材紀行
NHK「きょうの料理」