今日の料理 から   ⇒だだちゃ豆

1999年8月号のNHK「きょうの料理」に紹介されました。        日本の朝ごはん 食材紀行へ 

第17回だだちゃ豆 山形県鶴岡市安丹 文・向笠千恵子         

●だだちゃ豆は枝豆のブランド品種                            
飲む人はもちろん,下戸でも大好きな枝豆。実は日本人の味覚の原点ーみそ、しょうゆ、豆腐に欠かせない大豆の未成熟まめである。完熟を待たずに枝ごと収穫してしまうもので,味や香りは大豆のヤングバージョン。大豆愛好民族のわれわれが枝豆なしで夏を過ごせないなは当然なのであある。                                 
 野菜感覚で食べるようになったのは江戸時代、いや鎌倉時代からともいわれる。どちらにしろ塩ゆでをむしゃむしゃやれば、即、力の源になることを人々は体験的に学習したのだろう。なにしろ大豆が畑の肉なら、枝豆は畑の若肉。たんぱく質はじめビタミンB1・C、カリウムなどが豊富で栄養価は12分なのである。                         
 ということで諸国のお百姓さんは努力した。できのよい豆だけを種豆として選抜、郷土色あふれる品種を確立したのである。代表は山形県庄内地方(鶴岡市周辺)のだだちゃ豆。薄茶色の産毛と薄皮をもち、くらりとするほど濃厚な香り、野太い甘み、充足感あふれるコク。 
 
●殿様好みがだだちゃ豆の起こり                           
 早生種、晩生種があるとはいえ本命の中生種は8月半ばから月末まで2週間しか出回らない。鶴岡の友人は「その時期のものしか、だだちゃといわないの」とまでいいきる。とあればその豆をなんとしてでも食べてみたくなる。              そこで、旧盆が明けたばかりの庄内へ。鶴岡駅から北へ10分の安丹。市内ではあるものの目に飛び込んでくるのは、田んぼと、青々茂った枝豆畑だけ。藤沢周平の時代小説の舞台で知られ、現代でも旧藩主酒井家 当主を殿様と呼んでいる土地柄。その鶴岡は,城の周辺を少しはずれるとのどかな農村だった。                              
 緑の生垣、灯篭,白壁の蔵。安丹枝豆組合長・佐藤恵一さんの家は酒井藩時代の庄内の大農家をほうふつさせ、鷹狩帰りの殿様が寄られても不思議はない構え。そういえば、だだちゃ豆という風変わりな名前は殿様にちなむ。明治後半、小真木いう集落の枝豆名人だだちゃ(おやじの意味の方言)が豆を献上。そのおいしさに殿様は「あのだだちゃの豆が食べたい」とリクエスト。いつしか枝豆イコールだだちゃ豆と呼ばれるようになったらしい。      
 ところで現代、だだちゃといえば白山だだちゃが最初に上がる。白山という集落にも明治の末、熱心な豆農家がいて、土壌が豆向きだったこともあり,名を高めたのである。このほかにも鶴岡には、風味の微妙に異なるだだちゃ豆が集落ごとにあるそうな。同じ庄内でも、土壌や水質、栽培法によって違いがでるせいである。                        
 訪ねた安丹は、味で知られる集落の一つ。もともとは米作地で、だだちゃ豆は自家用だったのだが、昭和45年ごろ米余りで減反がすすめられたそれを機に16戸が枝豆組合を結成。低農薬を心がけ、有機堆肥を   用い,排水パイプを畝に埋めるなど工夫した。その結果、需要に追いつかなほどの人気ブランドに育ったのである。                       
 そこであらためて佐藤さんの庭を見回すと、納屋の軒になにやらドライフラワーがずらり。近づいて,納得。だだちゃの枝を逆さにつるしているのだった 「種用の豆を干しているんだけど、種泥棒がでるからおちおち寝てられん。 種は春にまき、発芽したら定植。草取りに追われて、収穫できるのはちょうどいまごろだね」                                  やんちゃな日焼け顔が、冬は蔵王でスキーコーチという元気な暮らしぶりを伝えてくる。この佐藤さんはじめ、組合員は団塊世代がメイン。毎日4時  起きで朝取りし,1kgずつ枝を束ねるハードな作業も夫婦単位。だから   「家庭円満」だそうである。                     
  

●抜きたての塩ゆでは後をひく美味                         
 軽トラックで案内されたのは金峰山を望み、風が吹き抜ける広い畑。仲間の藤原さんや三村さんも一緒に手間のかかる収穫を実演してくれた。枝豆は 食味が低下しやすい。鮮度保持のため,面倒でも根付きで出荷するのが佐藤さんたちの誇りなのである。                           
 さて、地下足袋の3人がえいっと抜いた豆。佐藤さんのお母さんに塩ゆで していただいた。枝からさやをはずす。最初は水でごしごし。表面の産毛を落とすのである。ひょうたんのように胴がくびれた、小柄なさや。豆は2粒。発見だった。佐藤さんが「普通の枝豆がでっかくて、3粒なのは品種改良ため。安丹のは伝統種を守り伝えてきたからこれなの」と目じりを下げた。 
そのだだちゃ豆が塩を落とした沸騰湯へどさっ。落しぶたをし、しばし見守る。さやに割れ目がでたらゆで上がり。ざるに上、冷水をざあざあかける。そこへ塩を力士のように振り、うちわをぱたぱた。 濃くて、甘くて、土臭い豆の香りが立ってきた。もう待てない。歯でしごくと舌に転がる軽やかな食感。つぎつぎあごを動かすたびに、懐かしい甘みとコクガ口中にひたひた広がってくる。ふるさとのない東京育ちのわたしをさえ郷愁へ誘ってくれる。それゆえにだだちゃ豆は永遠なのである。